夕焼け
2011年09月14日
今日は夕焼けがきれいでした
すこし錆びついたようなオレンジ色
夕焼けマニアとしてはよだれもの
悲しいことも嬉しいことも
遠い人も隣りの人も
大切な人も見知らぬ人も
犬も猫も買い物袋も
木になる真っ赤な果実も
小さな自分も
気になるあの人のことも
包みこむようなきれいな夕焼け
すこし錆びついたようなオレンジ色
夕焼けマニアとしてはよだれもの
悲しいことも嬉しいことも
遠い人も隣りの人も
大切な人も見知らぬ人も
犬も猫も買い物袋も
木になる真っ赤な果実も
小さな自分も
気になるあの人のことも
包みこむようなきれいな夕焼け
Posted by えだまめ at 19:27│Comments(12)
この記事へのコメント
私も夕焼けマニアで、黄昏れ症候群にかかっちゃう(笑)
悲しくてやりきれない…歌っちゃいます(;_;)
悲しくてやりきれない…歌っちゃいます(;_;)
Posted by ASAKO (旧 鳥山鳥子) at 2011年09月14日 20:08
ASAKOさん、ありがとうございます!
夕焼けマニア、ここにもいましたね(笑)
悲しい黄昏どきも、嬉しいときも、いつも夕焼けは好きです。小学生の時は夕焼けの夢をよく見てました。
“悲しくてやりきれない”はビートクルセダーズも好きだし、奥田民生のカバーも好きです!
夕焼けマニア、ここにもいましたね(笑)
悲しい黄昏どきも、嬉しいときも、いつも夕焼けは好きです。小学生の時は夕焼けの夢をよく見てました。
“悲しくてやりきれない”はビートクルセダーズも好きだし、奥田民生のカバーも好きです!
Posted by えだまめ at 2011年09月14日 20:27
・・・ダメだ、黙ってられない。
昨夜見つけて、悩んでいたのですが。
(ーー;)
「かなしくてやりきれない」はフォーク・クルセダーズ。
「イムジン河」が、発売禁止になって作られた、伝説の曲。
2曲あわせてご鑑賞ください。
(*^。^*)
昨夜見つけて、悩んでいたのですが。
(ーー;)
「かなしくてやりきれない」はフォーク・クルセダーズ。
「イムジン河」が、発売禁止になって作られた、伝説の曲。
2曲あわせてご鑑賞ください。
(*^。^*)
Posted by セギ at 2011年09月15日 13:33
セギさん、ありがとうございます!
そうですね、フォークとビートだと大違い(笑)
因みにビート・クルセダーズというバンドもあるようです。
まったく別物でしたが…。
フォーク・クルセダーズの“イムジン河”と“悲しくてやりきれない”をあらためて聴いてみました。
とてもきれいで、哀愁があって、切なくなりました。
今の日本にいる自分にも届く名曲だと思いました。
そうですね、フォークとビートだと大違い(笑)
因みにビート・クルセダーズというバンドもあるようです。
まったく別物でしたが…。
フォーク・クルセダーズの“イムジン河”と“悲しくてやりきれない”をあらためて聴いてみました。
とてもきれいで、哀愁があって、切なくなりました。
今の日本にいる自分にも届く名曲だと思いました。
Posted by えだまめ at 2011年09月15日 18:51
うーん。
(* ̄- ̄)
毎度このパターンで、申し訳ないと思うし、軽薄な紹介の仕方をした私が何より悪いのですが、上の感想を読んだ印象から言えば、えださんは、「イムジン河」を、多分1番と3番しか聴いていないと思うんだけど、どうなのかなー。
私も、オンタイムで「イムジン河」に間に合った世代ではないのですが。
(* ̄- ̄)
毎度このパターンで、申し訳ないと思うし、軽薄な紹介の仕方をした私が何より悪いのですが、上の感想を読んだ印象から言えば、えださんは、「イムジン河」を、多分1番と3番しか聴いていないと思うんだけど、どうなのかなー。
私も、オンタイムで「イムジン河」に間に合った世代ではないのですが。
Posted by セギ at 2011年09月16日 00:22
セギさん、ありがとうございます。
もちろん2番は聴きました。
そして今も聴きながら書いています。
朝鮮半島の南北分断の歌であることは知っていました。
家族が引き裂かれることもまた。それを想うときに
言葉を失ってしまうんです。被災地でも感じたのですが
別離の悲しみの前では、どんな言葉も儚さを感じます。
だから、歌があるのかもしれませんね。
残酷なほどのきれいさや、切ないほどの哀愁は
悲しみに繋がっていると思っています。
先のセギさんへのコメントではそれを伝えられなかった
なぁと思います。
それでもやっぱり、自分の言葉の足りない部分に
気がつけてよかったと思います。
毎度ありがとうございます。
助かっています。
これからまた、精進の日々じゃと思います(笑)
もちろん2番は聴きました。
そして今も聴きながら書いています。
朝鮮半島の南北分断の歌であることは知っていました。
家族が引き裂かれることもまた。それを想うときに
言葉を失ってしまうんです。被災地でも感じたのですが
別離の悲しみの前では、どんな言葉も儚さを感じます。
だから、歌があるのかもしれませんね。
残酷なほどのきれいさや、切ないほどの哀愁は
悲しみに繋がっていると思っています。
先のセギさんへのコメントではそれを伝えられなかった
なぁと思います。
それでもやっぱり、自分の言葉の足りない部分に
気がつけてよかったと思います。
毎度ありがとうございます。
助かっています。
これからまた、精進の日々じゃと思います(笑)
Posted by えだまめ at 2011年09月16日 17:42
うーん・・・。
2番を聴いているんですか。
2番の歌詞に違和感はありませんでしたか?
あれは、誰が、どこで歌っているんですか?
年齢層の高い「たまりば」で、私のようなオンタイムで知っているわけでもない者がこんなことを書いていいのかわからないのですが、江田さんは、多分、私よりももっと「イムジン河」を知らない。
「イムジン河」は、南北分断の歌と言えば、それは、その通りなんだけれど、あの歌詞を書いたのは、日本人です。
ウィキペディアに書いてありますから、見てもらえればわかりますが、原曲は、北朝鮮の歌。幸福な「北」にいて、不幸な「南」のことを思う歌です。荒れ果てた「南」の地に、「北」の様子を伝えてほしいと、河の流れに呼びかける歌。
作詞者は、中学時代から、この歌を耳にし、一番の歌詞のみ、コリアンの友人に訳してもらい、後は、自分で歌詞を書きました。
南北分断の遠因を作ったのは、日本です。
その日本人が、「誰が祖国を分けてしまったの」と歌う。
同じ日本人である私が聞いても、違和感があります。
朝鮮の人が歌うのならば、純粋な悲しみの歌ですが。
1968年に、「イムジン河」が発売された当初、朝鮮総連も、韓国公安も、日本の警視庁も、内閣調査室も、いったいどういうことなのかとレコード会社に問い合わせてきて、すぐにレコードは発売中止、そして、放送自粛となりました。
大学を卒業したばかりのフォーク・クルセダースのメンバーには、レコード会社からきちんとした説明はなく、とにかくすぐに代わりの曲を作れ、と命じられ、そうして作ったのが、「悲しくてやりきれない」です。
彼らは、政治的な主義主張の強いグループではなく、自分たちの歌の何が悪くて、なぜこのようなことになるのかも、正直、わからなかったのではないでしょうか。
だから、悲しくて、悔しくて、やりきれない。
あの2曲は、そういう背景をもつ歌です。
歌そのものは、美しく、悲しい。
でも、それだけではなく、とても重い。
北朝鮮と、韓国、そこに、日本という存在が濃く影をなげている歌です。
ただ、あの歌詞を書いた松山猛は、素朴に思ったことを書いたのだし、フォーク・クルセダースは素直に歌いたかったのだし、当時の同世代の人たちも、それを聴きたかったのだと思います。その気持ちに曇りはなく、だから、まっすぐ伝わってきます。
日本人の、まだとても若かった人たちが、朝鮮の人の気持ちに寄り添おうと必死に考えた歌。
差別問題が今よりも根深かった時代、それがどこまで可能だったのかわかりませんが、あの時代の若い人たちは、そういうところはすごく飛躍しますしね。
違和感はあるのですが、私は、あの歌が好きです。
自分の個人的な感傷で、あの2曲を聴くことはできません。
歌は、歌として独立してあるもので、それをどうとらえるかは、本人の自由。
でも、知らないで鑑賞するよりも、知っておいたほうが良いことだと思います。
もし、こういうことも江田さんが全部知っていてあのコメントなら、さすがに、びっくりだ。
(*^_^*)
2番を聴いているんですか。
2番の歌詞に違和感はありませんでしたか?
あれは、誰が、どこで歌っているんですか?
年齢層の高い「たまりば」で、私のようなオンタイムで知っているわけでもない者がこんなことを書いていいのかわからないのですが、江田さんは、多分、私よりももっと「イムジン河」を知らない。
「イムジン河」は、南北分断の歌と言えば、それは、その通りなんだけれど、あの歌詞を書いたのは、日本人です。
ウィキペディアに書いてありますから、見てもらえればわかりますが、原曲は、北朝鮮の歌。幸福な「北」にいて、不幸な「南」のことを思う歌です。荒れ果てた「南」の地に、「北」の様子を伝えてほしいと、河の流れに呼びかける歌。
作詞者は、中学時代から、この歌を耳にし、一番の歌詞のみ、コリアンの友人に訳してもらい、後は、自分で歌詞を書きました。
南北分断の遠因を作ったのは、日本です。
その日本人が、「誰が祖国を分けてしまったの」と歌う。
同じ日本人である私が聞いても、違和感があります。
朝鮮の人が歌うのならば、純粋な悲しみの歌ですが。
1968年に、「イムジン河」が発売された当初、朝鮮総連も、韓国公安も、日本の警視庁も、内閣調査室も、いったいどういうことなのかとレコード会社に問い合わせてきて、すぐにレコードは発売中止、そして、放送自粛となりました。
大学を卒業したばかりのフォーク・クルセダースのメンバーには、レコード会社からきちんとした説明はなく、とにかくすぐに代わりの曲を作れ、と命じられ、そうして作ったのが、「悲しくてやりきれない」です。
彼らは、政治的な主義主張の強いグループではなく、自分たちの歌の何が悪くて、なぜこのようなことになるのかも、正直、わからなかったのではないでしょうか。
だから、悲しくて、悔しくて、やりきれない。
あの2曲は、そういう背景をもつ歌です。
歌そのものは、美しく、悲しい。
でも、それだけではなく、とても重い。
北朝鮮と、韓国、そこに、日本という存在が濃く影をなげている歌です。
ただ、あの歌詞を書いた松山猛は、素朴に思ったことを書いたのだし、フォーク・クルセダースは素直に歌いたかったのだし、当時の同世代の人たちも、それを聴きたかったのだと思います。その気持ちに曇りはなく、だから、まっすぐ伝わってきます。
日本人の、まだとても若かった人たちが、朝鮮の人の気持ちに寄り添おうと必死に考えた歌。
差別問題が今よりも根深かった時代、それがどこまで可能だったのかわかりませんが、あの時代の若い人たちは、そういうところはすごく飛躍しますしね。
違和感はあるのですが、私は、あの歌が好きです。
自分の個人的な感傷で、あの2曲を聴くことはできません。
歌は、歌として独立してあるもので、それをどうとらえるかは、本人の自由。
でも、知らないで鑑賞するよりも、知っておいたほうが良いことだと思います。
もし、こういうことも江田さんが全部知っていてあのコメントなら、さすがに、びっくりだ。
(*^_^*)
Posted by セギ at 2011年09月16日 22:59
正直、“イムジン河”が作られた背景は知りませんでした。2番を聴いたときも違和感を感じることなく聴いてました。知っていたのは南北分断についての歌であり、若かりし加藤和彦がフォーク・クルセダーズのメンバーってことくらいです。確かに南北分断の遠因を作った日本人が分断について歌うことの違和感があるなと、セギさんに指摘されて始めて気がつきました。プロテストソングは、背景を知らないで聴くのと、知って聴くのでは感じ方が違いますね。南北分断から時が過ぎて、リアルな重みの実感を持っていない自分にも気がつきます。韓国といえば焼肉だから。どこか自分の歴史認識の底の浅さもわかります。それでも余りあってイムジン河は、心に届く名曲だと思いました。冷たくて澄んだ川が流れてく美しさと悲しみ。曲の力と歌唱の素直さが伝わってきます。なんかセギさんには物足りない回答かも知れませんが、以上が感じたところです。たしか“放送禁止曲”って新書も出てたから読んでみようと思います。“竹田の子守唄”とか聴くときも、感じ方が違うかも知れないし。目に映るものや耳に聴こえることの背景を考えて感じること。それも大切だなと思いました。
Posted by えだまめ at 2011年09月17日 01:00
おはようございます。
もの足りました。
(*⌒-⌒)
ようやくふにおちたので、撤退しますー。
ヽ(*⌒-⌒)/
もの足りました。
(*⌒-⌒)
ようやくふにおちたので、撤退しますー。
ヽ(*⌒-⌒)/
Posted by セギ at 2011年09月17日 08:17
セギさん、おはようございます。
ふに落ちてよかったです(笑)
それでは!
ふに落ちてよかったです(笑)
それでは!
Posted by えだまめ at 2011年09月17日 08:35
えだまめさん、せぎさん、歌の背景を知ることって本当、大切なことですよね。薄っぺらな歌を歌わないようにしよう!って改めて思いました。
ありがとうございました。
竹田の子守唄も放送禁止曲ですが、その時代の人の生が簡潔に表現されている魂の歌です。歌い続けますだぁ(^^)
ありがとうございました。
竹田の子守唄も放送禁止曲ですが、その時代の人の生が簡潔に表現されている魂の歌です。歌い続けますだぁ(^^)
Posted by ASAKO (旧 鳥山鳥子) at 2011年09月17日 10:16
ASAKOさん、これからも大切に歌を歌ってください!!
夕焼けの彼方から応援しています。
夕焼けの彼方から応援しています。
Posted by えだまめ at 2011年09月17日 19:33