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高麗山ハイク
2012年11月19日
木枯らしの風の冷たさを感じる日々。
お元気でお過ごしでしょうか。
今日は湘南にある高麗山を歩いてきました。
東海道線の大磯駅を降りて線路に沿って右へ。
魚屋を過ぎてひとつめのトンネルをくぐり歩いてゆき
“→湘南平”の表示を右へ。
閑静な住宅地の坂道をどんどん上ってゆきます。
灰色の曇り空と広がる海。
東海道線が走る音が聞こえてきます。
公園の脇から山道へ。
家の垣根にはイノシシ除けの青や紫のテープがぶら下げてありました。
暖地性の常緑樹が多い木々。
静かな山道を上ってゆき
配水タンクを過ぎて進んでゆくと大きな電波塔が見えました。
山道を上りきると湘南平。
芝生広場では10歳くらいの小学生達が
お弁当を食べていました。
レストハウスには展望台があったので登ってみる。
視界には丹沢の山々や平塚や二宮の市街。太平洋を一望。
昼になって晴れ間も見えてきました。
公園のベンチには女性がひとり
海を見ながらおにぎりを食べてました。
僕もベンチに腰掛けてランチ。
コロッケパン・クルミパン・ホットコーヒー。
デザートにはミカン。
遠足の4人の女の子が近くのブランコを漕ぎはじめました。
歌をうたう賑やかな甲高い声
揺れるマフラーの赤い色。
雲のすき間から差しこむ陽の光たち。
とても印象的な光景でした。
実はここ湘南平には気象機器メーカーに勤めてたとき
風向風速計の設置に来ました。
転々の日々を思い出す。。
ふたたび歩きだし山道へ。
浅間山~八俵山~高麗山の尾根縦走。
ケヤキ・ミズキ・アラカシ・コナラなど豊かな樹相の森を歩いてゆく。
高麗山には高来神社の神社跡がありました。
高句麗の滅亡のあとに渡来した人が住んだ地であったこと。
明治維新のあとに御用林であったこと。
戦時中に多くの木を伐採し供出したことなどを知る。
参道から国道1号へ。
分岐から入ってゆき旧東海道の並木道を歩きました。
西湘バイパスをくぐってテトラポッドを抜けると広い砂浜へ。
渚には潮の匂い。
紫とオレンジの混ざりあう夕暮れの不思議な色あい。
あぁ、いい日だなと思う。
近くの喫茶店に入り焼きリンゴと紅茶を頂きながら
店主の方と地元の鳥の話。島の話。イラスト地図の話など。
うどん屋で温かいじゃこ天うどんを食べて
すっかり暗くなった道を歩いてロータリーへ。
東海道線に乗って帰りました。
お元気でお過ごしでしょうか。
今日は湘南にある高麗山を歩いてきました。
東海道線の大磯駅を降りて線路に沿って右へ。
魚屋を過ぎてひとつめのトンネルをくぐり歩いてゆき
“→湘南平”の表示を右へ。
閑静な住宅地の坂道をどんどん上ってゆきます。
灰色の曇り空と広がる海。
東海道線が走る音が聞こえてきます。
公園の脇から山道へ。
家の垣根にはイノシシ除けの青や紫のテープがぶら下げてありました。
暖地性の常緑樹が多い木々。
静かな山道を上ってゆき
配水タンクを過ぎて進んでゆくと大きな電波塔が見えました。
山道を上りきると湘南平。
芝生広場では10歳くらいの小学生達が
お弁当を食べていました。
レストハウスには展望台があったので登ってみる。
視界には丹沢の山々や平塚や二宮の市街。太平洋を一望。
昼になって晴れ間も見えてきました。
公園のベンチには女性がひとり
海を見ながらおにぎりを食べてました。
僕もベンチに腰掛けてランチ。
コロッケパン・クルミパン・ホットコーヒー。
デザートにはミカン。
遠足の4人の女の子が近くのブランコを漕ぎはじめました。
歌をうたう賑やかな甲高い声
揺れるマフラーの赤い色。
雲のすき間から差しこむ陽の光たち。
とても印象的な光景でした。
実はここ湘南平には気象機器メーカーに勤めてたとき
風向風速計の設置に来ました。
転々の日々を思い出す。。
ふたたび歩きだし山道へ。
浅間山~八俵山~高麗山の尾根縦走。
ケヤキ・ミズキ・アラカシ・コナラなど豊かな樹相の森を歩いてゆく。
高麗山には高来神社の神社跡がありました。
高句麗の滅亡のあとに渡来した人が住んだ地であったこと。
明治維新のあとに御用林であったこと。
戦時中に多くの木を伐採し供出したことなどを知る。
参道から国道1号へ。
分岐から入ってゆき旧東海道の並木道を歩きました。
西湘バイパスをくぐってテトラポッドを抜けると広い砂浜へ。
渚には潮の匂い。
紫とオレンジの混ざりあう夕暮れの不思議な色あい。
あぁ、いい日だなと思う。
近くの喫茶店に入り焼きリンゴと紅茶を頂きながら
店主の方と地元の鳥の話。島の話。イラスト地図の話など。
うどん屋で温かいじゃこ天うどんを食べて
すっかり暗くなった道を歩いてロータリーへ。
東海道線に乗って帰りました。
Posted by えだまめ at
23:55
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