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Posted by たまりば運営事務局 at

3世の思い

2013年11月16日

僕は被爆三世である。


子供のころにおばあちゃんから戦争の話を聞いたことがあって
その時の記憶をたどっている。



僕は小さなころから風来坊だったから
瀬戸内海に浮かぶ島の母方の祖母の家を基点に歩きや自転車で
いろいろなところに出かけた。


家にもどると大抵はゴボウを抜いたり雑草をむしる手伝いをするわけだが
正直に言ってあまり真剣ではなかった気がする。


兄はのりのりに作業をしていたようだったけど。


それでも、いつしか柑橘と潮の混ざり合うような
島の土の匂いが好きになっていた。



川崎に住んでいた当時の僕は、学校が苦手だった。


勉強もそうだが、団体行動にうまく馴染んだり
ついてゆくことが出来なかった。


だから、夏休みの青春18切符の帰省を、いつも本当に楽しみにしていた。


電車や船に、大人みたいに乗ってゆく旅の途中
夜行の窓から眺める光は夢のようだった。



おばあちゃんは、それ程、口数の多いほうではない。


既におじいちゃんは死んでしまっていたけど
悲しんでいる姿を僕には見せなかった。


淡々とおかずを作って僕たち3人で
一緒に食べるテーブルのほのかな灯り。


おばあちゃんは終戦後に
ちいさな小学校の先生をしていた。

穏やかな教員生活だったのかなと思っていたから
学校が苦手とは言えずじまいだった。



おばあちゃんは、僕たちに戦争のときの話を語ってくれることもあった。


B29が飛んできたときのことや竹槍の訓練のこと。

おじいちゃんの被爆のことも。


もっともっと聞けば良かったのかも知れない。

なんで戦後に教師になったのか、とか
戦争のときにどう思ったか、とか。




僕は戦争が怖い。

話を聞いているうちに怖くなったのかも知れない。


世論はきっといかようにでも形成されるだろう。

群集心理がいつしか殺しあいにまで発展する愚かさ。


被爆三世だからと言うわけではない。

平和でありつづけてほしい、と心から祈るとき。

四世やその後の世代にも、ずっと。



いまだに、僕はおばあちゃんと一緒にいた時のことを思い出す。


深い記憶の残像になっていつでも
今の僕に語りかけてくれる気がする。  
タグ :戦争


  • Posted by えだまめ at 21:24Comments(2)